第11回世界言論人会議 モスワ大会
主要な講演者
ニコライ・シスリン ソ連共産党中央委員会外交顧問
パベル・ブニチソ連最高会議経済改革委副委員長
アガン・ベギャンソ連科学アカデミー経済学術部長
グラチェフソ連共産党中央委員会国際部長
アレン・ニューハース「USAツデー」紙創始者
アーサー・ハートマン前駐ソ米大使
リチャード・パイプスハーバード大学教授
アレクシ・ヤブロコフソ連最高会議環境統制天然資源活用委・副委員長
松本十郎 前防衛庁長官(安倍晋太郎元自民党幹事長代理)
谷藤正三 元北海道開発庁事務次官
村井勉 JR西日本会長アサヒビール会長
不破敬一郎 国立公害研究所所長
磯村尚徳 NHK放送局特別主幹
永井清 三菱総合研究所調査部長(中島正樹・同相談役代理)
文鮮明師メッセージ
私は世界言論人会議の基調講演で、ソ連のペレストロイカ(改革・立て直し)を称賛しながら、
その革命は必ず無血革命でならなければならず、心と魂の革命でなければならないと訴えました。
世界言論人会議に出席するためにモスクワを訪問したのですが、実を言えば、私の関心は
ゴルバチョフ大統領との会見に集中していました。
当時、ペレストロイカ政策が成功し、ソ連国内でのゴルバチョフの人気はとても高いものでした。
それこそアメリカの大統領には10回でも会うことができる私でしたが、ゴルバチョフに会うのは難
しい時でした。しかし、私には彼に会って話すことがあったので、必ず会いたいと思っていました。
ゴルバチョフがソ連を改革して共産世界に自由の風が吹きましたが、時が経つにつれて、改革の
刃は彼の背中を狙うようになっていました。このまま行けば、すぐに大きな危険に遭遇してしまうと
ころだったのです。
「彼が私に会わなければ天運に乗る道がなく、天運に乗らなければ彼は生き延びることができない」
私が心配しているという話がゴルバチョフ大統領の耳に入ったのか、彼はその翌日(4月11日)、
モスクワのクレムリン宮殿に私を招待しました。ソ連政府が送ってくれたリムジンに乗ってクレムリン
宮殿の奥に入っていきました。まず大応接室に入って、私たち夫婦が座り、その横に前・現職の
各国大統領・首相らがテーブルを囲んで座りました。ゴルバチョフ大統領は、ペレストロイカの成功
を満面の笑みで熱心に説明してくれました。それが終わると、いよいよ単独会談です。大統領執務
室に場所を移すと、私は時を逃さずゴルバチョフ大統領に言いました。「大統領はペレストロイカ
ですでに素晴らしい成功を収めていらっしゃいますが、それだけでは十分な改革はできません。
今すぐこの地に『宗教の自由』を許可してください。神様なしに物質世界だけを改革しようとすれば、
ペレストロイカは必ず失敗します。共産主義はもうすぐ終わります。この国に『宗教の自由』を呼び
起こしてください。それこそが国を救う道です。これからはソ連を解放した勇気で、全世界の平和の
ために働く世界の大統領になってください」「宗教の自由」という、全く予想もできなかった言葉が
飛び出すと、ゴルバチョフ大統領は少なからず当惑し、顔がこわばりました。しかし、「ベルリンの
壁」崩壊を容認した人らしく、すぐにこわばった顔をゆるめ、私の言葉を真摯に受け入れました。
私はすぐに、「韓国とソ連はもうお互いに国交を結ばなければなりません。そのためにも、大韓民国の
盧泰愚大統領を必ず招待してください」と言葉を続けました。さらに、韓国とソ連が国交を樹立する
とどのようなメリットがあるのかということも、一つ一つ説明しました。私の話をすべて聞いた後、
ゴルバチョフ大統領はひときわはっきりとした口調で約束しました。
「韓ソ関係は順調に発展すると確信しています。何よりもまず朝鮮半島の政治的な安定と緊張
緩和が必要だと思います。韓国との国交樹立は今や時間の問題です。そこには何の障害もありま
せん。文総裁が提案されたとおり、盧泰愚大統領にもすぐに会うようにします」
その日私は、ゴルバチョフ大統領と別れる際、私の腕時計を外して彼の手首にはめてあげました。
まるで昔からの友人に対するようなざっくばらんな私の態度に当惑する彼に向かって、「大統領が
今推進していらっしゃる改革政策が困難に直面するたびに、この時計を見ながら私との約束を思い
起こせば、天が必ず道を開いてくださるでしょう」と強調して言いました。
私と約束したとおりゴルバチョフ大統領は、その年の6月、サンフランシスコで盧泰愚大統領と会い、
韓ソ首脳会談を持ちました。そして、1990年9月30日、韓国とソ連は86年目に歴史的な国交樹立を
果たしたのです(第一次日韓協約で外交権を一部失った1904年8月以来86年目に、という意味)。
もちろん、政治は政治家が、外交は外交官があることですが、時として、長い間ふさがっていた
水田の水の出入り口に穴を開ける上で、何の利害関係もない宗教者の役割がより効果的な
こともあります。
それから4年後、ゴルバチョフ前大統領はソウルを訪問し、漢南洞の私の家を訪ねてきました。
その時はすでに権力の座を去って、在野の人になっていました。1991年8月、ペレストロイカに
反対する反改革派のクーデターが起きた後、彼は兼任していた共産党書記長を辞任し、ソ連の
共産党を解体しました。共産主義者の彼が自分の手で共産党をなくしてしまったのです。
思想新聞